東日本大震災から10年 津波被災体験を振り返る いつまでも忘れない 現実から目をそらさないで
宮城県塩竃市 2021年2月 壱番館展望台より
東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)から10年になろうとしています。あの日、私は当時宮城県塩竃市にあった自宅で巨大地震と大津波を体験しました。
大きな地震が前々日、前日の2回 まさか巨大地震の前触れだったとは
3月11日で、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)から10年が経ちます。私は宮城県塩竃市海岸通にあった自宅で被災しました。本震が起きる2日前、3月9日に三陸沖でM7. 3の地震がありました。その日、日本気象協会東北支社(当時支局)で当番に入っていた私は、モニター用TVで気仙沼などに小さな津波が来ている映像を見ていた記憶があります。前日10日早朝にも同じような震源でM6.
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2011年3月11日、東日本大震災の巨大地震で天井が崩れた東京電力福島第1原発敷地内の事務本館[東京電力提供]。東電は2012年9月11日、巨大地震発生後、大きな被害を受けた福島第1原発敷地内の様子を撮影した写真600枚を公開した 【時事通信社】
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3月11日がまたやってくる。岩手県陸前高田市出身の私には、生涯忘れられない日である。2011年3月11日午後2時46分、東京の自宅は震度5強の揺れが数分間続いた。直後にテレビ画面に映し出されたのは、東日本の沿岸部全域に出された「大津波警報 10メートル以上」の文字だった。
正徳寺本堂(奥)と庫裡(門徒が集まって聞法会などさまざまな行事が行われる場所)。地震発生の数日後に雪が降り、了達さんは「瓦礫の中で生きながらえていた人たちも、これで命を絶たれてしまうかもしれない」と絶句した
■「とうとう来た! 」
全身が凍り付いた。陸前高田は地震多発地帯で繰り返し大きな津波に襲われてきた。まだ私が幼い頃に起きた「昭和35年チリ地震津波」でも大きな被害を受けている。当時の記憶はない。それでも大人たちは口々に「いつかまた大きな津波が来る」と語り伝えてきた。
だが、その波は人々の想像を超えていた。大人たちの頭の中ではチリ地震津波の記憶が大きくなりすぎて、いつしかそれが基準になっていた。津波が来ても、当時はなかった大きな防潮堤が街を守ってくれるはずだった。
3月11日、テレビに次々映し出されたのは、防潮堤をやすやすと越え、巨大な船を押し流し、家々をなぎ倒していく凄まじい大津波だった。チリ地震津波とは比較にならない。
■「陸前高田がやられる!
8~1. 9m、車道から2. 2~2. 3mでした。 唯一の情報源となっていたラジオは刻々と、現代日本にとって未曽有の大災害が起きている事実を伝えていました。広域で携帯電話基地局が被災し、SNSは情報源になり得なかったのです。余震は数分おき、間断なく揺れている状態。30分に1回位は強い揺れが襲ってきました。まさに昔みた映画「日本沈没」の1シーンそのままでした。
無情の雪・星降る夜
津波が襲来する少し前から雪が降り、うっすらと積もり始めていました。上空の強い寒気の影響で小さな低気圧が発生したことによるものです。 雪の降っていた時間は短かったものの、夜は晴れて気温は氷点下へ。暗くなって水が引き、外からはサーチライトとともに「誰かいますか!
最終更新日: 2021年03月09日
執筆者:高荷智也
おはようございます!備え・防災アドバイザー高荷智也がお送りする「死なない防災・そなえるらじお」、3月9日(火)、本日も備えて参りましょう! 東日本大震災の前震
本日のテーマは「3. 11 東日本大震災」です。
2011年3月9日の11時45分 、東北地方三陸沖を震源とするマグニチュード7. 3の大地震が発生し、宮城県などで最大震度5弱を観測しました。
この大地震では最大55cmの津波を観測し、
負傷者2名、住宅一棟が一部損壊となるなどの被害が生じました
2011年3月9日の大地震、何のことを言っているのか?3. 11東日本大震災の間違いではないのか?と思われるかもしれませんが、これは3月11日に発生した 「東北地方太平洋沖地震」の「前震」 の話です。
実は3. 11直前に群発地震が生じていた
3. 11のいわゆる本番、マグニチュード9の大地震、東北地方太平洋沖地震が生じる2日前から、同じ震源地付近では大きめの地震が生じていました。
03/09 11:45 最大震度5弱 M7. 3
その13分後に生じた、
03/09 11:58 最大震度3 M6
さらに2時間後には、
03/09 13:36 最大震度3 M6. 1
翌日の深夜に発生した
03/10 03:16 最大震度3 M6. 4
その地震の28分後に、
03/10 03:44 最大震度3 M6. 3
さらに3時間後、
03/10 06:24 最大震度4 M6. 8
その後、M4~5. 9までの地震が12回発生し、そして…
03/11 14:46 最大震度7 M9
本番を迎えています。
3月9日から11日にかけて、
マグニチュード4の地震が19回、
マグニチュード5の地震が17回、
マグニチュード6の地震が6回、
マグニチュード7の地震が1回、
これだけでも異常な状況が、当時発生していました。
結果的に見れば、2日前3月9日以降に生じた合計44回の地震は、3. 11の前震だったと言えます。
3. 11の前震だが、当日は本震の余震だと思われていた
いまでこそ、なぜこの前震となる活動を見逃してしまったのか、と悔やまれるところですが、これはあくまでも結果論です。
当時はむしろ、3月9日のM7. 3の大地震こそが、三陸沖で発生した大地震の本震だと思われており、その後続いた大きな揺れの連続は余震活動の一環。
まさかその2日後、マグニチュード9の大地震が発生するとは思っていなかった訳です。
今でこそ私たちは、この3.
11の前震の経験や、
2016年4月14日・4月16日に発生した熊本地震の経験を生かし、
大きな地震の直後は、しばらくの間強い揺れに警戒、場合によってはより大きな地震が発生するかも知れない
ということを知っていますが、
当時は、まず大きな地震が突然発生し、その後小さな余震がしばらく続き、そして地震活動が終息する
というような、常識にとらわれていました。
3月9日の大地震を受けて、1週間程度はより大きな揺れに警戒しよう、と考え、もし実行した方がいれば、3. 11本番でも、素早い避難などが行えていたかもしれません。
余震という言葉が消えるきっかけとなった熊本地震
また2016年の熊本地震では、震度7の地震が2回連続で生じました
この地震を受けて、気象庁では、地震に関する報道を行う際の「言葉」について、方針転換を行っています。
それは、
「余震」という言葉は最初の地震よりも規模の大きな地震は発生しないという印象を与えることから、防災上の呼びかけ等においては、さらに規模の大きな地震への注意を怠ることのないよう、「余震」ではなく「地震」という言葉を使用します。
という内容のものです。
本日も、ご安全に! 大地震の後は、1週間程度の期間、より大きな地震の発生を含めた、強い揺れに警戒する。これは私達がこの10年間で、まさに命をかけて学んで来た知識です。無駄にすることのないよう、今後の地震対策にもぜひ取り入れてください。
それでは皆さま、本日も引き続き、ご安全に!